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2012年3月13日 (火)

フィギュアスケート佐藤信夫15歳(全日本選手権初優勝当時)の自宅と家族(1957年(昭和32年)4月・大阪)

毎日新聞社のデジタル写真データベース「毎日フォトバンク」にて、「昭和*フィギュア」のキーワードで検索したら、フィギュアスケートの佐藤信夫コーチの若き日の写真が見つかりました。
1957(昭和32)年の全日本フィギュアスケート選手権で初優勝した後に自宅を取材した、写真雑誌「毎日グラフ」の特集記事のようです。

MAINICHI PhotoBank(毎日フォトバンク) - 毎日新聞社

デジタル写真データベース「毎日フォトバンク」。
幕末以来の歴史を記録した貴重な写真・図表をあわせて約33万件アーカイブし、日々最新の画像も蓄積しています。検索・閲覧は無料です。



◆毎日グラフ連載・ご家庭参上「フィギュア・スケートの佐藤信夫」
1957年5月12日 毎日グラフ掲載
フィギュア・スケートの佐藤信夫君(15歳)の自宅での私生活を取材した写真グラフ。
1957(昭和32)年4月の全日本フィギュア・スケート男子フリーで優勝した。
1957年4月撮影。

(写真説明)
自宅は安治川沿いにある関西電力安治川火力発電所の社宅(大阪市此花区西九条)。
家族は父・正夫さん、母・節子さん、兄・尚夫さん、信夫君。
兄・尚夫さんはカメラが得意で、8ミリカメラでフォームの研究に役立つ資料を撮って弟・信夫君を応援している。
自宅で、兄・尚夫さんと柔軟体操をし体を鍛えるのが日課。
母・節子さんは、家では信夫君の厳格なトレーナーの役目。
一家そろってスケート靴の手入れをする。
全日本フィギュア・スケート男子フリーの優勝者に贈られるジョスト杯が飾られた部屋で、勉強する15歳の佐藤信夫君。
近所では、信夫君が“日本一のスケーター”だということを案外知られていない。



1957年の春休みの全日本選手権で優勝して、4月から高校1年生(関西大学第一高校)。ほんとにまだ幼いおぼっちゃん。
お母さんの節子さんが戦前フィギュアスケートの選手をされていて、戦後大阪にスケートリンクができたときに、昔習っていた先生に頼まれてコーチを始めたらしい。着物に割烹着姿って昭和30年代の普通のお母さんだな。信夫先生のコーチは、全日本初優勝のシーズンから現役引退まで山下艶子先生だったそうです。
お父さんはサラリーマンと聞いていたが、関西電力に勤めていたのは初めて知りました。
質素な家で、スケート連盟の強化費のない時代にフィギュアスケートを続けさせるのは大変だったろうね。

>近所では、信夫君が“日本一のスケーター”だということを案外知られていない。
当時の世間のフィギュアスケートの扱いってそんなものなのね(悲)。



現在、スポーツ報知の城田憲子さんのコラムで佐藤信夫・久美子夫妻との対談を連載中。
子ども時代からの話をされています。

スポーツ報知>コラム>城田憲子の「フィギュアの世界」
日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(1):城田憲子「フィギュアの世界」スポーツ報知

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スポーツノンフィクション『君なら翔べる!』佐藤信夫・佐藤久美子(双葉社)フィギュアスケート/2005年12月

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