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2017年4月 9日 (日)

仙台から広まった日本のフィギュアスケートと、東京・名古屋・松戸経由の現在のフィギュア王国・仙台

明治の終わりに仙台の旧制二高(現・東北大)の学生たちが外国人教師から習ったフィギュアスケートの技術を日本各地に広めたのが、日本のフィギュアスケートの始まりと言われます。
学生たちは進学で東京などに移住して、昭和の初めには仙台の学生の間ではフィギュアスケートよりアイスホッケーが隆盛となります。

二高生が伝えたフィギュアスケートの技術が東京を経由して名古屋に伝わりました。
名古屋でスケートを始めた都築章一郎コーチの教えが、仙台にふたたびフィギュアスケートの隆盛をもたらしました。



仙台のスケートの歴史は五色沼に始まります。
五色沼は青葉城公園内にある人工の池。仙台城・三の丸の堀の一部でした。

五色沼で、明治23年ごろから外国人達が滑り始め、明治30年頃にアメリカ人テブィンソンが子供達にフィギュアスケートを教えたのが日本のフィギュアスケートの始まりといわれます。
明治42年頃に、旧制第二高等学校(現在の東北大学の前身校の一つ)の学生らがドイツ語教師ウィルヘルにフィギュアスケートの基本を教わり、その学生たちが全国にフィギュアスケートの技術を普及したとされます。

二高の学生だった河久保子朗らが日本スケート会(日本スケート連盟の前身)を創立したり、海外のスケート技術書を翻訳したりして日本全国にスケートを普及しました。


河久保が書いた日本初の本格的フィギュアスケート技術書『氷滑』。
国立国会図書館がネットで内容を公開しています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 氷滑

タイトル『氷滑』
著者:河久保子朗 著
出版者:河久保子朗(自費出版)
出版年月日:大正6年(1917年)12月発行
定価:85銭

日本で初めてのフィギュアスケート技術書。
基礎の滑り方のほか、ジャンプ、スパイラル、スピン、コンパルソリーなどわりと高度な内容です。
巻末にアイスホッケーのルールを簡単に説明しています。

1914年にアメリカの技術書『A handbook of Figure skating』を河久保が翻訳し、そののちに『氷滑』を自費出版しました。


国立国会図書館デジタルコレクション -尚志会全史

タイトル『尚志会全史』
著者:第二高等学校尚志会 編
出版者:第二高等学校尚志会
出版年月日:昭12年

二高の同窓会誌。
P621~659にスケート部の歴史(コマ番号333-352)。

二高スケート部は大正元年創立。記録はそれ以降のもの。
河久保子朗、田代三郎、佐藤幸三など初期スケート部有志(正式な部ではなかった)は明治年間に卒業しています。
日本のフィギュアスケート発達をもたらした三人は、二高卒業後は東京に行き、時折後輩たちに指導していたようです。

スケート部初期は日本陸軍第二師団司令部本部から五色沼を借用し、市内の主な学校にも二高スケート部の監督の下に入場を許可していました。

二高の学生にスケートを教えたウェルヘル先生の奥さんとお嬢さんもスケートをされていたそうです。

大正11年1月に日本で初めてのフィギュアスケートコンテスト「第1回スケート大会」を凍結した広瀬川で行われました。
(大正11年2月に下諏訪で行われた「大日本スケート大会 第2回例会」が日本初のフィギュアスケート競技会という説もある)

大正12年に仙台スケート協会が設立。
(※地方のスケート団体としては北海道、信州に次いで3番目に早い設立)

大正13年にアイスホッケーが仙台に移入され、スケート部の主軸はアイスホッケーに移っていきます。

大正15年1月、インカレ初参加。

昭和6年度からインターハイに参加。

昭和6年度に二高スケート部専用リンク(土橋リンク)完成。
※野外・天然氷(60m×30m) 用水の水を土橋でせき止めてあふれさせ凍らせた。

『尚志会全史』の記録は昭和12年まで。

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明治・大正時代は北海道や信州、仙台、盛岡、日光、六甲山など寒冷地や山地のごく限られた時期しかスケートができませんでした。
昭和に入って東京や関西に天候に左右されない屋内リンクができるようになると、都会でフィギュアスケートの競技人口が増えていきます。
コーチする人が少ない地方では次第にフィギュアスケートより、スピードスケートやアイスホッケーに競技人口が移っていきます。

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現在のフィギュア王国・仙台を作ったのは都築章一郎コーチとその教え子たちです。
平成になってから仙台でフィギュアスケートの優秀な選手が何人か育つようになります。
1988年11月にスケートリンク「オレンジワン泉」が開場。運営はダイエーの子会社・ダイエーレジャーランド。新松戸アイスアリーナから長久保裕コーチが副支配人兼コーチに着任したことが、現在のフィギュア王国・仙台の始まりです。
仙台で長久保コーチが育てたのが、五輪金メダリストの荒川静香さん、日本男子の四回転ジャンパーの先駆けだった本田武史さんと田村岳斗さん。1998年の長野五輪ではこの3人が日本代表となり、仙台でフィギュアスケートブームが起こるようになりました。

長久保コーチに大学時代からフィギュアスケートを教えたのが都築コーチ。
都築コーチは1981年からダイエーの子会社が運営する「新松戸アイスアリーナ」を拠点とし、日本トップレベルのフィギュアスケートクラブを作り上げました。長久保裕、佐野稔、無良隆志ら都築の教え子たちが指導者となり、ロシアからコーチを招いたりしました。
しかし、ダイエーの経営不振で松戸リンクが2002年に閉鎖。都築コーチは仙台の泉リンクへ異動し、小学生だった羽生結弦選手の指導を始めました。
2004年12月に経営不振で泉リンク(当時は「コナミスポーツクラブ泉・スケートリンク」)が閉鎖。都築コーチは関東へ異動しました。これから2006年の荒川さんの五輪金メダル獲得までの数年間は仙台のスケート受難の時代となります。

都築コーチがスケートを始めたのが愛知県名古屋市です。
都築コーチは名古屋市出身で、高校1年からスケートを始めました。
当時の名古屋にはスケート専門のコーチがおらず、愛知県スケート連盟の役員らが指導していました。満州でフィギュアスケートを覚えた小塚光彦さんや、名古屋出身で戦前は関東でフィギュアスケートの選手をしていた酒井克己(かつゆき)さん達から指導を受けました。
都築コーチは日本大学進学で上京し、以降は(お金がないので)指導者につかず独学でスケートを研究しながら他の学生に指導したりしました。

名古屋にフィギュアスケートをもたらしたのは満州から引き揚げてきた人たちとよく言われますが、戦前には名古屋にもスケートリンクがあってフィギュアスケートの選手が活動していたようです。
国立国会図書館デジタルコレクションの『運動年鑑』(朝日新聞社運動部)をみると、昭和14年の全日本ジュニアや関西ジュニアなど公式大会に名古屋の選手が出場しています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 運動年鑑. 昭和14年度

明治・大正時代の仙台の学生たちや、終戦直後の名古屋の愛知県スケート連盟役員は、スケートが好きでスケートの技術を普及する活動をしてきました。地道な普及活動から優秀な選手や指導者が育ちました。
名古屋は地元の大学で勉強しながらスケートを続けられる環境があるし、社会人になってからも地元でスケートの指導を続けられます。トップ選手から趣味のスケート愛好者まですそ野が広がっています。
今の仙台には、他の地域から生徒が集まるほどの指導者がいません。せっかく優秀なコーチが来ても、安定した仕事ができる環境がありません。
荒川さんにしろ羽生選手にしろ、東京の大学に進学して海外で練習して五輪金メダルを獲りました。
仙台がこれからもフィギュアスケート選手を育てたいなら、地元に指導者と進学先が必要じゃないでしょうか。


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